白樺クラブの紹介
白樺クラブ結成から50年の経過
1957年(昭和32年)クラブ員の1人の結婚披露宴で、米子西高校(当時は米子西高と米子工業高校が併合)山岳・スキー部のOB約10名が一同に会した。
そこで持ち上がったのがクラブ結成の話。どうせ馬鹿げた奴の集まりだし、ばからしクラブでは?・・・・・でも、それでは対外的に聞こえが悪いし、逆にして「しらかば」にしよう。
こんなエピソードもあって誕生した白樺クラブだったが、ここに50周年を迎えるに至った。
当初は米子西高と米子工業高校のOBで、競技主体の活動が続いたが、クラブ主催、主管での競技大会運営の必要、更にはクラブの継続、発展を考える時、入会資格を撤廃、「大山を、スキーを、山を愛する情熱のある者は全て仲間としてやっていこう」この姿勢が現クラブの基本となっている。
以来クラブ員もジュニア会員から70歳代まで70名近くの大所帯となっているが、特に会員規則など設けていないにも拘わらず、山、スキーに限らず、会員全てが認める、助け合う、心のつながりが理念となり、和気藹々のクラブを自負している。
いつでも入会を希望される方は申し出てください。
現在の会員数は、山岳とスキー合わせて40名でジュニア会員も3名在籍しています。
全日本資格者
基礎教育関係 準指導員 2名 公認パトロール 3名
競技関係 競技技術指導員 3名 競技運営指導員 5名 ジャンプ飛型審判員 B級1名 C級2名 クロスカントリー技術代表 1名
B級セッター 2名 計算委員 アルペン 3名 クロスカントリー 2名 公認旗門審判員 10名
白樺クラブ 年表(トピックス)
昭和32年秋 10名程度で発足 吉野旅館を定宿として活動開始
昭和35年 大山リーゼンスラローム大会を大山クラブより移管を受け現在に至る
大山ジャンプ大会を中国新聞の協力を得て開催し昭和55年まで開催したが選手の減少で中止
昭和40年 大山スラローム大会を企画運営し昭和53年に中止
昭和41年 広江弌 スキー連盟理事長に就任し昭和53年まで執務
昭和46年 広江弌 米子市議会議員に初当選し昭和60年まで活動
昭和47年 大山国体に協力
昭和49年 定宿が上の原ヒュッテに変わり部室も開設。平成18年まで。宿泊廃止し食堂に特化したため
昭和53年 真田武 スキー連盟理事長に就任し平成5年開催の大山国体を期に勇退
昭和55年 広江弌 スキー連盟会長就任し平成5年開催の大山国体を期に勇退
昭和57年 フィッシャー杯大山クロスカントリー選手権大会を企画し継続中
昭和59年 広江研 マッキンリー植村直巳捜索隊長を務めたが発見には至らず遺留品を持ち帰った
広江弌 米子市議会議長に就任
昭和60年 広江弌 鳥取県議会議員に初当選
細田恵誠 第5回大会皆生トライアスロンで優勝 / 琵琶湖トライアスロン大会で優勝
平成5年 大山国体に協力
平成6年 皆生トライアスロンのボランティア協力開始
篠原千秋 鳥取県山岳協会副会長に就任し1期勤めた
平成8年 鳥取県山岳協会を退会
平成9年 小泉貢 スキー連盟副会長に就任平成23年勇退
平成11年 広江はじめ 鳥取県議会議長に就任
椎木喜久男 スキー連盟副会長に就任、平成27年勇退 森雅樹 米子市議会議員に初当選
平成14年 佐藤衛士 南米最高峰アコンカグアの登頂を目指したが天候不良で中腹で断念。
平成18年 松本 熙 境港市議会議員に初当選
平成19年 江原 徹 スキージャーナル杯スーパーG 八方尾根大会を制し、野沢で追い上げられるも逃げ切り総合優勝
平成20年 江原 徹 スキージャーナル杯スーパーG 八方尾根大会を制し、大会総合2連覇
平成21年 第27回フィッシャー杯大山クロスカントリスキー選手権大会を(株)シークラフトから(株)ゴールドウインに主催が変わった。
併せてSAJ B級公認大会として開催
平成22年 森雅樹 鳥取県議会議員に初当選
平成23年 東日本バイアスロン選手権 小原輝巳選手4.5Kスプリント 7位 7.5Kパシュート 6位
定宿を吉野旅館に戻す。創クラブ当時と同じに。
平成24年 全日本スキークロス選手権 江原徹 9位入賞
平成26年 東日本バイアスロン選手権 小原輝巳選手 7.5Kパシュート 3位
代表の江原正光 スキー連盟副会長に就任
平成28年 大山クロスとRS雪不足で中止。1月中は積雪不足。
平成29年 大山クロスとRS雪不足で中止。1月中は積雪不足。
令和2年 第57回 全国中学野沢温泉大会 2月6日 男子GSL 椎木基覚 大山中3年 3位
国体の入賞記録
昭和45年(第25回大会/倶知安) 椎木喜久男
大回転 第4位
昭和46年(第26回大会/田沢湖) 椎木喜久男 大回転 第3位
昭和47年(第27回大会/大山) 椎木喜久男 大回転 第2位
松本 熙 クロスカントリー 第9位
昭和48年(第28回大会/塩沢) 椎木喜久男 大回転 第3位
昭和49年(第29回大会/猪苗代) 椎木喜久男 大回転 第13位
昭和50年(第30回大会/富良野) 椎木喜久男 大回転 第4位
松本 熙 距離15km 第7位(教員男子2部)
昭和51年(第31回大会/大山・富山) 松本 熙
距離16km 第6位(教員男子2部)
昭和52年(第32回大会/大鰐) 松本 熙
距離17km 第4位(教員男子2部)
昭和57年(第37回大会/田沢湖) 松本 熙 クロスカントリ- 第5位(成年男子3部)
昭和60年(第40回大会/片品) 松本 熙 クロスカントリ- 第10位(成年男子3部)
平成5 年(第48回大会/大山) 小原輝巳 バイアスロン一般銃 第5位 リレー
平成8 年(第51回大会/岐阜) 小原輝巳 バイアスロン一般銃 第8位 リレー
平成10年(第53回大会/岩手) 小原輝巳 バイアスロン競技銃 第7位 リレー
平成12年(第55回大会/富山) 小原輝巳 バイアスロン競技銃 第5位 リレー
平成19年(第62回大会/秋田) 小原輝巳 バイアスロン競技銃 第8位 個人