茶碗を焼く 平成4年9月 西部医師会報 坂口茂正
           
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 そもそもやきものに手を染めるきっかけになっ
たのは、NHKの教育テレビでやっていた陶芸教
室の番組を見たことである。古代縄文士器の時代
から人類に受け継がれてきたやきものの血が、私
の体の中にも流れていたとみえて、テレビを見て
この血が妙に騒ぎだしたのであった。15年ばかり
前のことである。すぐに町の文房具店を介して窯
を買い入れた。直径が1メートほどの円形のプロ
パソ窯である。小さな絵付け轆轤やプロパンボンベ
も揃えた。粘土や釉薬は文房具店で売っていた。
学校の教材だった。
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かくして始めたのが楽焼きの茶碗作りである。
形成は手びねりだった。丁寧にやると1時間もか
かってしまうこともあった。高台を削りだして出
来上がると、十分乾燥させて素焼きを行う。素焼
きは慎重にやらないと割れてしまう。火力が急激
に上がらないように、時間をかけてゆっくり炎を
強くして行かねばならない。ガスの流量計の目盛
りと時間をメモしながら素焼きのコツを覚えていっ
たものである。 
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私がやきもを始めてから、これまでに作り上
げた作品の大部分は茶碗である。茶碗は茶の湯と
あいまって、昔から面白い存在である。優雅であっ
たり、華麗であったり、使いやすさを論ずるかと
思えば、芸術性を云々する。目の付けどころもい
ろいろと論じられている。色、形は勿論、重さと
か口当たりも問題になる。口縁に凹凸をつけ、五
岳などと称して鑑賞の対象にしたりもする。傷だっ
て色むらだって景色と称してもったいぶる。ねじ
れていようが傾いていようが、品格とやらがあれ
ば名品となりうる。
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茶碗の部分々々についても名称をつけて鑑賞の
対象にしている。一番上の縁が口縁で形により姥
口とか樋口などといっている。そこから外側を下っ
て胴となり、その下の底に向かって湾曲するとこ
ろが腰である。一番下の土台の部分が高台で、もっ
とも注目されるところである。高台を外から取り
巻いているところを高台脇という。高台の内側は
高台内、畳に触れるところがたたみずりである。
茶碗を上から見たところを見込みと称し、広いと
か深いとか云ったりする。底は茶溜まりといい、
特別に深く彫り込んで鏡落ちと称し熊川茶碗の特
徴ともなっている。
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やきものをやって、一番楽しいのが焼成の段階
である。釉を掛けて焼き上げるときは、期待と不
安が交錯し、最後に胸踊る一瞬を迎えることがで
きる。窯の前に座り込んで、覗き孔から窯の中を
見つめながら食事をしたことも、何度かあった。
目を離したくないのである。
 初めの頃は、釉は買ってきたものをそのまま使っ
ていたが、次第にそれでは飽きたらなくなって、
自分で作ってみようと考えた。そこで今度は、長
石、石灰石、硅石それにカオリンなどを買い込み、
各原料を計量して本を見ながら調合して釉を作っ
てみた。釉の各成分の比率によって熔ける温度が
変わってくるので、ときには自分の窯では火力が
弱くて熔けないといった失敗もあった。    次の段落

 
大きな乳鉢で粉と砂の混ざったようなものを摺っ
てドロつとした粘液のようなものに仕上げていく
のであるが、この作業はなかなかの力仕事で、そ
のあとの数日間は筋肉痛が残っていたものだ。 
 自作の釉は楽焼き用のものより熔融温度が高く、
およそ1,200度が必要だったと思われる。焼き上
がった茶碗は、楽焼きと違って叩けば金属性の高
い響きを聞かせてくれた。なんともいえない心地
よい音に開き惚れたものだ。
 音と言えば、貫入の入る音もいいものである。
窯出ししたばかりの茶碗を、枕元に置いて寝たり
すれば、夜遅くまで闇の中から小さな小さな音で
はあるが、パチパチッと甲高い弾けるような音を
聞かせてくれるのだ。
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私のやきもの生活、第一次石油ショックを機
に中断することとなった。愛用の窯は、軒下でカ
バーを掛けられ、十年あまりの長い眠りについた
のである。
 窯は眠っても、やきものの夢は消えることはな
かった。そして、再びNHKの陶芸教室が始まった
4年前、再度やきものの心に火が入ったのだった。
今度は茶碗一つひねるのに一時間もかけたりする
のは御免とばかり、電動轆轤を買い込んだ。以前
に、古い自転車のペダルを外し、そこに厚板で円
盤を作って取り付け、古い洗濯機のモーターを取
り外してきてベルトで繋いで回してみたことがあ
る。この手製の電動轆轤はみごとに盤上の粘土を
跳ね飛ばし、ガラス戸や障子を泥だらけにしてく
れた。これに比べ新しい電動轆轤は夢のような
機械であった。回転も自由に調整できた。初めて
粘土を据えて回してみたときには、もう嬉しくて
気持ちまでくるくる回りだしてしまった。
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土ねり3年轆轤8年という。轆轤の技術はそれ
ほど難しいものらしい。それを師もなく教え魔も
なく、ただ本を見ながら、ものにしてやろうと考
えたのは無謀だったかも知れない。でも、失敗し
ながらも、あれこれやってみることは、とても楽
しいことだった。いくら下手でも、いくら時間が
かかっても、やっているうちに何とか器の形は作
ることが出来た。    
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 轆轤は土
がよく練れていないと失敗する。買っ
てきたばかりの粘土はそのままでは使いものにな
らない。そこで楽しい轆轤作業の前に、一汗かか
なければならないことになる。菊練りという練り
方がある。粘土に手の跡が菊の花びらの様に残る
練り方である。そういう練り方が正しく出来てい
るとは思わないが、出来ている積もりで、腕を棒
にし息を弾ませて、練りあげていった。白い土に
信楽のような鉄分の多い赤い土を混ぜて練り合わ
せてみることもある。混合比によって焼き上がっ
た素地の色が違ってくる。この素地に透明に近い
萩釉を掛けて、きれいな枇杷色が出たことがある。
この枇杷色の茶碗は、随分前から診察室の机の上
に噸座して話題の種になっている。
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観光地などで、プロの陶工が轆轤を回している
ところを見ると、非常に簡単そうに見える。とこ
ろが、実際に轆轤の上に粘土の塊をドンと据えて、
両手で長く引き上げようとしても、粘土はびくと
もしないのだ。粘土がとっても硬く感じられる。
力いっばい両手で押し込んで、ようやく少しばか
りへこんでくれる。粘土を引き上げたり押し縮め
たりするのを土殺しというのだが、これは轆轤の
基本的な技術である。プロはなんと楽々とこれを
やって見せることか。プロはものすごい力持ちな
のだろうか。力がなくてもこれをやらなければ、
轆轤は先へ進むことができない。
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轆轤で茶碗を作るとき、筒茶碗が結構難しかっ
た。右手を茶碗の内側に入れ、左手を外側に添え
て、両手で粘土を挟みながら引き上げて、腰から
胴の部分を形成していくのだが、普通にやってい
ると、だんだん外に広がって形は椀形(わんなり)
になってしまう。下の方から上の方へ同じ直径で
伸びていくようにするには、一工夫しなければな
らなかった。もっと難しいのは、粘土の厚さを知
ることだった。薄くなりすぎると突然ペロペロと
形が崩れてしまう。厚すぎると重い茶碗になって
しまう。          
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 粘土の厚さ
が分からなくて一番困るのは、高台
を削り出すときである。このときは、削るときの
カンナの音で判断しなければならない。一歩間違
えると茶碗に穴が開いてしまう。茶溜まりに空い
た穴を粘土で補修して最後まで仕上げた茶碗もい
くつかあったが、あまり出来映えはよくなかった。
かといって、穴の空くのを恐れて削り足らないと、
底の方だけばかに重いアンバランスな茶碗になっ
てしまう。 ことに高台脇が厚いものは下手くそ
の見本のようなものだ。
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釉薬は熔けそうなものをいろいろ試みてみた。
昔とくらべ格段に便利が良くなったのが釉薬であ
る。青磁、天目、伊羅保、柿、透明、黒艶消し、
萩白、鉄赤、金彩、なまこ、辰砂、織部などなど
数え上げたら切りがない程、多種類の釉薬が、ポ
リ缶に入れて棚にぎっしり並べて売られている。
今日は黄瀬戸で焼いてみようと思えば、さっと焼
けるという便利さは、かえって物足りなさを感じ
るほどだ。               次の段落

 やきものを再開
してから、最初に手がけたのは
鉄赤釉であった。これは意外に難物だった。薄め
方が足らなくて厚く掛けてしまったときには、
素地全体を被っていた釉が、熔ける段階で丁度
ハスの葉の上の水玉のように団子になってばらま
かれたようになってしまった。
 面白いことに、この失敗作にもう一度萩白釉を
掛けて焼きなおしてみると、赤茶色の面に白い編
み目模様がきれいに入って見事な焼き上がりを見
せてくれた。

 
黒艶消釉でも全く同じ現象がみられた。これを
一つの技術として押し進めていけば、面白そうで
あったが、何分次々と新しい釉薬を試みてみたい
ので、同じことを繰り返す気にはならなかった。次の段落

 
赤い茶碗を焼いてみたくて、辰砂にも挑戦して
みた。赤は銅による発色であるが、酸化炎で焼く
と緑色になってしまう。そこで還元炎にするため
に、焼成中に窯の排気口を陶器の破片で半分ほど
塞いでみた。すると不完全燃焼を起こして窯の中
は還元炎に変わった。焼き上がった茶碗には部分
的に辰砂の赤っぽい色が出ていたが不完全であっ
た。酸化炎からどの時期に還元炎に変えるかが問
題だった。初めから還元炎ではなかなか温度が上
がってこない。焼成が終わる段階で還元炎に変え
ても赤が十分出ないように思われた。
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 買ってきた辰砂紬
では、何となく単純で面白み
がなかったので、更に酸化銅の粉末を釉に加えて
みた。加える量が多すぎると灰黒色になってくす
んでしまった。程がいいと赤にいぶし銀が乗った
ようで、古びた感じの面白いものができた。釉の
使い残しを適当に混ぜ合わせ、それに酸化銅を加
え還元炎で焼いてみたときに、見たこともない変
わった色合いの茶碗が焼き上がった。釉の主体が
伊羅保釉だったのでそれらしい雰囲気はあるのだ
が、もっとオレソジ色に近い赤っぽい部分が程よ
く混在して、自分なりにこれはいい窯変茶碗が出
来たと満足したものだった。この茶碗は一昨年の
米子市展に出品したら、見た人が譲ってほしいと
言ってこられた。しかし二度とこの色は出せない
ことが分かっていたのでお断りした。口造りを端
反りにした熊川形(こもがいがた)の名品である。
これ自碗自賛といいます。
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 市展には
、もう一個の茶碗も出品した。磁器土
を使って、口縁を絞り込んで球状に作ったやや小
振りのものだった。辰砂釉に酸化銅とマンガンを
加えたものを掛けて、二度焼きしたものであった。
素地の白が生きており、辰砂の赤が模様をなして
広がり、素晴らしい景色を見せていた。見ほれて
何時間も展示場に居座っていて、係員に怪しまれ
たという男の人に、知人を介して頼まれたので、
譲ってしまった。これは再現できる茶碗だったか
らだ。たった一人だったかも知れないが、人の心
を動かすことの出来る作品が作れたのだと思うと
まんざらでもなかった。この茶碗は素地が磁器土
だったので、熱いお茶を点てたときに手が熱くな
るという欠点があった。
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 秋の
、湊山公園で開かれる米子市大茶会に、所
属する米子工芸会を通じて、私の茶碗を提供した
ことがあった。結構人気があって沢山の人に使っ
てもらうことができたと伝え聞いて気を良くした
ものだった。お茶は飲んでも、茶道はやらない私
の茶碗が、茶人に好まれるというのも、悪い気は
しないことだった。だからといって、プロの作家
の作品と並び称されるほどの作品とは、到底考え
られない。素人は素人らしく、好き勝手なものを
作って楽しみたいと思っている。        戻る